東京高等裁判所 昭和27年(ナ)5号 判決
原告 佐伯忠夫 外二名
被告 東京都選挙管理委員会
一、主 文
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
二、事 実
一、原告等訴訟代理人は「昭和二十六年九月十五日執行された東京都大島差木地村村長選挙における当選人小坂粂吉の当選は無効とする。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
(一) 昭和二十六年九月十五日東京都大島差木地村の村長選挙が執行された。
(二) 原告等はいずれも右選挙における選挙人である。
(三) 右選挙における選挙会は、候補者井沢竜治の得票を六百六十六票、候補者小坂粂吉の得票を六百六十七票、候補者河野武雄の得票を七十五票と算定した結果、小坂粂吉が当選人に決定し、之に基き差木地村選挙管理委員会は小坂粂吉を当選人と告示し、同人が右選挙の当選人となつた。
(四) 然るに右小坂粂吉の得票の中には、
(イ) 候補者の氏名の外、他事を記載したもの一票、即ち投票用紙における「小坂」なる名下に「◎」の符号が記載されているのは、明かに有意的になされた他事記載である。(検証調書添付の写真(一)及び(二)参照)
(ロ) 投票用紙における記載が候補者の何人を記載したか確認できないもの一票。仮りに右投票が小坂候補の名粂吉を片仮名で逆に記載したものと認められるとするも、かくの如く投票用紙を逆にして候補者の氏名を記載することは明かに他事を記載したものと認むべきである。(検証調書添付の写真(三)参照)
(ハ) 投票用紙における記載が候補者の何人を記載したかを確認できないもの一票、仮りに当該記載が小坂粂吉候補を表示したものと判読せられるとするも、その内「」と「」の二字は暗号的に記載したものであつて他事を記載したものと認むべきである。(検証調書添付の写真(四)参照)従つて右の三票は明かに公職選挙法第六十八条第一項第五号、第七号によつて無効な投票といわなければならない。
(五) 而して右選挙において当選人と決定された小坂粂吉候補と、次点者とされた井沢竜治候補との得票の差は前述の如く一票であるから、右無効投票を小坂粂吉の得票から控除すれば、小坂粂吉の得票は井沢竜治の得票より少くなり小坂粂吉の当選は無効といわなければならない。
(六) 依つて原告等は右当選の効力に関し昭和二十六年九月十九日差木地村選挙管理委員会に異議を申立てたが、右異議は同年十月九日棄却せられたので、更に同月十六日被告委員会に訴願を申立てたが右訴願は昭和二十七年二月二十五日棄却の裁決があつたので、右当選を無効とする判決を求める為本訴に及んだ次第である。
二、被告指定代理人は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、答弁として原告等主事張実中(一)乃至(三)及び(六)の事実は全部認める。(四)の事実の中(イ)の「小坂」と「小坂粂吉」候補の氏だけを記載した下に「◎」の記載がある投票が一票、四の(ロ)の小坂粂吉の名を片仮名で逆に記載した投票が一票、(四)の(ハ)の「」と「」の字が明確でない投票が一票あることは認めるが、右三票の投票が他事を記載したもの、或は候補者の何人を記載したかを確認し難いものとの原告等の主張は争う。右三票の投票はいずれも小坂粂吉候補に対する投票として有効な投票と解すべきである。(一)前示(四)の(イ)の投票の「◎」の記載は他事を記載したものとみるべきではない。即ち「◎」の記載はそこに何等の有意がなく、単に第三字目の記載の当初において通常行われている方法により、これを抹消した痕跡にすぎないものと解すべきである。(二)次に前示(四)の(ロ)の投票については、小坂粂吉の名のみを片仮名で記載したものであつて、ただ「クメキチ」の記載が逆に書かれているに過ぎない。しかもかかる記載方法を禁止している規定が存しない以上、この一事を以つてその投票を無効とすることはできない。而してこの投票の記載は拙劣であつて第三字目を除いては夫々「ク」「メ」「チ」と読むことができ、第三字目は片仮名の「エ」に類似する記載がなされているけれども本件選挙候補者中「クメチ」に類似する者は小坂粂吉であり、他にこれに類似する候補者はないから、この投票人は「クメキチ」と書くべきところを「キ」を「エ」と誤つて記載したものであることは、第三字目の記載が「エ」でもなく「エ」の縦の線が上の横線を貫いて出ている点からも推測できる。従つて(四)の(ロ)の投票は小坂粂吉に対する投票として有効である。(三)前示(四)の(ハ)の投票は上部三字は「コダカ」と読むことができ、本件選挙においては、これに類似する候補者は小坂粂吉のみであつて小坂粂吉の氏「コザカ」の「ザ」と「ダ」は字音が近似しているのみならず「ザ」を「ダ」と発音することは大島差木地村附近一般において行われているところであるばかりでなく、右投票の第四字目は字体をなさないが、第五字目は「メ」と判読できるし、投票の全記載を綜合すると、第四字目以下は投票人において「クメ」と記載しようとする意図は表現されているものと推定することができるから、右投票は小坂候補を表示したものと認むべく、従つて小坂粂吉の有効投票とすべきである。されば敍上の三票を有効投票と認めた上、候補者小坂粂吉を当選人に決定したことは固より適法であると述べた。(各立証省略)
三、理 由
(一) 昭和二十六年九月十五日東京都大島差木地村の村長選挙が執行され、該選挙において候補者小坂粂吉、井沢竜治、河野武雄が夫夫原告等主張の如き投票を得たものとして、小坂粂吉が当選人と決定されその旨の告示のあつたこと、原告等はいずれも右選挙における選挙人であつて、その主張の日時に、その主張のような理由で差木地村選挙管理委員会及被告委員会に夫夫異議及び訴願を申立てたが、いずれも原告等主張の日時に棄却の裁決があつたことは当事者間に争ないところである。
(二) 原告等は小坂粂吉の得票の内次の三票は或いは候補者の氏名の外に他事を記載したものであり、又は何れの候補者を記載したか不明確な投票であつて、いずれも無効な投票であると主張するので、順次その効力について判断する。
(イ) 原告等主張の前記(四)の(イ)の投票についてみるに、検証の結果(殊に検証調書添付の写真(一)及び(二)参照によれば、右投票用紙には候補者の氏名として「小坂」と記載されたその名下に「◎」印が附せられているが、右「小坂」の「坂」の字と、その直下にある「◎」との間隔は「小」の字と「坂」の字との間隔とほぼ同一の間隔であつて、若し第三字目を書くとすれば第三字目を記載したと思われる箇所に記載されているし、又「◎」の形状運筆の模様を見ると正確な「◎」ではなく、むしろ「むぞうさ」に鉛筆を不規則に動かしたものと認められ、しかも円形の外に何等かの字を書きかけた如き痕跡が認められるのであつて、一般に文字を消す場合に不規則の円をもつて消しつぶすことは社会生活において通常よく行われるところであるから、右の「◎」は第三字目の記載の当初において通常行われる方法において之を抹消したものに過ぎないものと認めるのが相当であるところ、公職選挙法第六十八条第一項第五号にいう他事記載とは意識的に符号となるような何等かの記載をなし、以つて何人がその投票をしたかを他人に知らしめ、よつて投票における祕密の保持を妨げんとするものを指すものと解すべきであつて、他事記載と認めるのは有意的に他事を記載したことが明白である場合に限るものと解すべきであるから、敍上認定の如く書損を抹消する為に右の様な記載をしたものは他事記載をしたものと認むべきではない。従つて右の「◎」を記載した投票は候補者小坂粂吉に対する有効な投票であるといわなければならない。
(ロ) 次に前記(四)の(ロ)の投票についてみるに、検証の結果(殊に検証調書添付の写真(三)参照)によると、右(四)の(ロ)の投票は一見候補者の何人を記載したかを確認できぬようであるが、投票用紙を逆にして読むと、第一字は「ク」第二字は「メ」第三字は判然としないが「エ」に類似し、第四字は「チ」と読むことができるから、右の投票は選挙人が誤つて逆に記載したものと認められる。而して、公職選挙法に別段の規定がない以上、同法第六十七条の趣旨から見ても候補者の氏名を逆に記載した投票と雖も、それ自体これを無効投票と解すべきではなく、かつ投票用紙における記載が正確に候補者の氏名を記載したものでなくとも、反対の状況の認められないかぎり、選挙人は候補者に投票する意思を以つて投票したものと解すべきであるところ、右投票に記載された第三字目は「エ」の縦の線は上部の横の線から上方に突き出ていることが認められるのであつて、これを片仮名の「キ」に比較すると、「キ」の縦の線は上下に突き出ているので右の「エ」の縦の線を少し上下に延ばせば「キ」となるから、右投票の記載が極めて幼稚拙劣で、しかも投票用紙のさかさまであることすら判らない選挙人であることから考えると、右の「エ」と見える字は実は「キ」の誤記と解すのが相当であるから、右の投票は文字を十分に読み書き出来ない選挙人が、投票用紙がさかさまであることを知らずに、逆に「クメキチ」と記載したもので、その選挙人の意思は小坂粂吉を片仮名で「クメキチ」と記載する意思であつたものと認めるのが相当である。而して候補者の氏名を完全に記載しなくとも、その名を記載したのみでもその投票は有効であるから、右の投票は小坂粂吉の投票として有効なものといわなければならない。
原告等は右の投票は逆に記載したものとすれば、このような記載方法は暗号的に記載したものであつて他事記載と認むべきであると主張するけれども、他事記載につき(二)の(イ)において述べた理由と前述の逆に書いた事情とによつて他に特段な状況の認められない限り、本件の如く候補者の名を逆に記載した投票を以て他事を記載したものとは認められないから、原告等の主張は理由がない。
(ハ) 前記(四)の(ハ)の投票についてみるに、検証の結果(殊に検証調書添付(四)の写真参照)によると、右の(四)の(ハ)の投票用紙における記載の上三字は「コダカ」と読め、第五字は「メ」と判読できるところ、選挙人の意思は特に反対の状況を認め得ない限り、候補者に投票する意思で記載したものと認めるのが妥当であるところ、本件選挙における候補者中「コダカ」という候補者はなく「コダカ」に類似する候補者は「小坂」一人であることは、弁論の全趣旨に徴して明かであつて、しかも「コダカ」と「コザカ」は字音が似ており、又第四字目は判然としないが、第五字は前記のように「メ」と判読できるから、右投票に記載された文字を全体的に考察すれば、第四字目は「ク」の誤記であつて、右の投票も亦(四)の(ロ)の投票と同じく片仮名すら十分に解し得ない選挙人が「コザカクメ」と記載すべきところを誤つて右のやうな記載をしたものと認められるので、該投票をした選挙人の意思は「コザカクメ」と記載する意思であつたと認めるのが相当であるから、右選挙人の意思は小坂粂吉に投票するにあつたものというべきであつて、かくの如く投票記載の氏名が正確に候補者の氏名を記載したものでなくとも、投票記載の氏名と類似する候補者があつて、選挙人としては当該候補者に投票する意思で投票用紙にその氏名を記載せんとした場合には、敍上の如く候補者の氏名を誤記又は遺脱したものと認められる限り、該候補者のための有効投票と認むべきことは公職選挙法第六十七条の趣旨から見ても明であるから右投票は小坂粂吉に対する有効投票といわなければならない。
原告等は右投票は暗号的他事記載であると主張するけれども、既に前示(二)の(イ)及び(ロ)において述べた理由により右主張は採用できない。
敍上の各認定を左右するに足る証拠はない。
(三) 然らば本件選挙における小坂粂吉の当選を無効とすべき事由は存しないから、該当選の効力を争う原告等の本訴請求は理由がなく、之を棄却すべきものとする。よつて民事訴訟法第三百八十四条第八十九条第九十三条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 浜田潔夫 河合清六 仁井田秀穂)